正気が保てない

幸せになりたい

みんなで幸せになりたい

幸せになりたい。

でも、幸せってなんだ?

 

幸せって何だろう。どういう時に幸せを感じるんだろう。

推しが次のお仕事決まった時?

推しが楽しそうに板の上にたっているとき?

推しが毎日SNSで自撮りをあげてくれること?

それとも私が好きなコンテンツに出演が決まったとき?

 

 

ここ何日か、twitterで賑わせている記事がある。

wagamama-otaku.hatenablog.com

虚無リンピック2018〜若手俳優舞台編〜

いや、まず記事のタイトルが素晴らしい。素晴らしいを超えて嫉妬。ずるい。だってタイトルだけで面白そうじゃん。

しかも若手俳優舞台編ですよ。虚無に虚無を重ねてくる*1。最高。

というわけで、乗るしかないこのBIGウェーブ*2、この記事を読んで思ったことを描いてみようと思う。

 

前提として、そもそも虚無って何だ?

と思ったので、とりあえずここでの虚無舞台を定義してみようと思う。

そもそも虚無とは、

  1.  何物もなく、むなしいこと。空虚。

  1.  この世に存在するすべてのものに価値や意味を認めないこと。「虚無感」

  1.  虚心であること。「虚無自在の心」

  1.  無限の宇宙。大空。虚空 (こくう) 。

  1.  古代中国の老子の哲学で、万物の根源・本体は、はかりがたく無であるということ。

  2. 虚無(きょむ)の意味 - goo国語辞書より

つまりは、見ているだけで虚しくなってくる舞台を虚無舞台だと思ってもらえればいい。

推しはこんなにも頑張っているのに、脚本の内容が薄すぎるだとか、演出が酷いとか。

たまに、運営/制作の対応が槍玉にあげられることがある*3が、ここでは制作周りではなく、中身のみを評価した際にでてくるもののみを考えていただければ幸いだ。

 

さて、記事を読む前に自分の中で虚無舞台を上記のように定義はしてみたが、早速問題が起こる。

筆者は先の記事が非常に大好きなのですでに5周するほど読み込んではいるのだが、読むたびに違和感が出てくるのである。

その理由として、虚無舞台の定義が人によって違うのではないかと考えられる。

記事はそもそも、エントリを書く前に虚無舞台の投票をまとめ、記事の作者がコメントをしていくものであった。つまりは、虚無を感じた若手俳優舞台のファンによっておおよそ記事が作られているものである。

その中で、大きく3つの虚無に分けられるのではないかと思った。

 

  1. 内容(脚本及び演出)に不満があるから生まれる虚無
  2. あまりにも作品が大手だからこそ、一定のアンチ層による虚無
  3. 解釈違いによる虚無

 

1は、先ほど筆者があげた虚無舞台の定義とさほど変わらないので内容については割愛。

1に分類されるであろうコメントに関しては、笑いつつ明日は我が身の気持ちを持って読んだ。辛い。

 

2については、例をあげるとミュージカルテニスの王子様や、刀剣乱舞舞台/ミュージカル)ら辺だろうか。

刀に関して、筆者は舞台の方をライブビューイングで拝見し、ミュージカルについては

トライアルが配信されていた頃に友人に見せてもらったのであまり詳しくはないので触れるのはやめておく。

例の記事で上位にランクインしていたテニミュは、現在3rdということもあり、以前の1st、2ndと歴史がある分、新しい演出の好みな気がしている。だから若手俳優目当てというより、IPものというかコンテンツのファンによる解釈違いがもっとも大きく関与しているのではないかと考えられる。まぁもっとも、これについては3とも被ってしまっている気がするが。

 

3に関しては、もはや虚無というより好き嫌いな気がする。でもこれは2.5についてまわるものだろう。そもそも2.5次元ミュージカル(舞台)というものが

2次元の漫画・アニメ・ゲームを原作とする3次元の舞台コンテンツの総称。
早くからこのジャンルに注目し、育ててくれたファンの間で使われている言葉です。
音楽・歌を伴わない作品であっても、当協会では2.5次元ミュージカルとして扱っています。

一般社団法人 日本2.5次元ミュージカル協会|JAPAN 2.5-DIMENSIONAL MUSICAL ASSOCIATIONより 

というものであり、作品の解釈違いがまず舞台化するときにおこり、若手俳優が演じる時にもおこる。そういうものである。と、私は考える。

「このキャラは○○なのに、俳優がうまく演じてくれない」「この作品の肝は〇〇なのに、脚本化/演出化されてない」からその舞台化作品に足繁く通うのは虚無である、ということだと考えられる。

 

さて、とりあえず虚無舞台認定された評価を分類してみた。

その上で「クソ舞台なら見に行かなきゃいいじゃん」と思われる方も少なからずいるだろう。

だが、ヲタクとして、通わねばならない舞台がある。

 なぜそこまでして足繁く通わなければならないのか?

まず第一に、自分の推しにガラガラな客席を見せたくない、というのがあるだろう。

いくらプロの役者でもモチベーションに関わるだろうと容易に予想される。

というか、自分はこれぐらいしかお客を呼べないって思われるの普通にきつい。

そして第二に、自分の推している役者は客を呼べるんだとプロデューサーに思わせなければ次の仕事がないかもしれない、という危機感で行かないといけないと思ってしまうのである。

客を呼べる、というのは役者のステータスで大事になって来るだろう。

もちろん、次の仕事が決まるというのは客を呼べる自分の知名度のみではないが、普通に考えてやはり制作側としてはチケットを捌けさせるための十分要件ではあるだろう。

そういった理由から、推しを推したいヲタクは虚無になりながら、劇場に通うのである。 

 

しかし、だからこそ虚無舞台が減らないというジレンマがそこに待っている。

 

金を落としてくれrそこにいる推しを目指して劇場に足繁く通うファンがそこにいる限り、いくら内容が薄くてもそこに金が入るなら、作品を作るのである。

いくら演技がお遊戯でも、いくら衣装が安っぽくても、いくら脚本がクソでも、いくら演出が「こういうのを求めていたんだろ」と求めていないものをさも欲しがってるから作ってやってるんだというものを感じても、そういった作品に出る推しをまた応援しに行くのである。

笑顔で頑張る推しのために。

ヲタク、頑張って生きていこうね。

 

 

さて、ここからが本題である。

ここでやっと冒頭の質問に戻れるのである*4

どういった舞台ならみんなが幸せになれるのか、である。

そもそも、2.5を見にいく人は大きく分けて2種類いる。

原作が好きだから見に行くという人と、

その作品に出ている俳優が見たいから見に行くという人である。

 

先ほども述べたが、2.5とはいわいるIP*5ものである。

 IPものというものは、非常にいいビジネスである。

いくら無名の役者でも、ある程度有名なIPものであれば、既存の原作ファンが見にいくのである。

つまり、制作側としては、ある程度の集客(=原作のファン)が見込めるからこそ、無名の役者を安いギャラで使えるのである。

事務所側としても、ある程度の集客が見込める舞台にお抱えの役者を出せるので、名前を売ることができる。

 

つまりは、制作と事務所の中ではwin-winな関係でしかないのである。

 

そこから、原作は知らないけど推しが出ているから見にいく、というファンも合わせれば、

名前も何も知らない劇団の舞台を作るより、確実にお金が入るのである。

 

 

さて、ここでまた改めて考えてみる。

2.5次元ミュージカルがそもそも虚無を生み出しやすいコンテンツであるのに、どうしたらみんなが幸せになれる舞台が作られるのだろうか。

そもそも、全員が舞台に求めているものが違うのではないか。

ただ、自分が推してる役者がそこにいるだけでいい人もいれば、

お金を払ったぶん、ちゃんと面白い脚本や演出を見せて欲しい人。

みんな幸せになれないけど、一人でも幸せになればいい世界。

 

舞台ってそういうもんじゃない?

 

 

投げやりに終わったけど終わり。

*1:前提として筆者は2.5次元系舞台は虚無だと思っている。若手俳優なんてなおさら虚無だと思っている。

*2:このブログをそろそろちゃんと開設したいなー、と思ったときにたまたま話題に上がっていたので、そのまま流れに乗っかっているわけではあるが。

*3:

【運営炎上】ツキステが補助席をプレミアム席に設定販売して批判殺到! | まとめまとめ

*4:ちなみにここまでで2500字を消費した。

*5:Interllectual Propery=知的財産権の略称